フランスで生まれた点字の歴史
点字はナポレオン時代のフランス軍の砲兵大尉シャルル・バルビエが夜間でも読むことができる秘密暗号用文字を考案したのが基礎になったといわれている。薄い板紙にいくつもの暗の点を浮き彫りにしたもので、暗闇の中で伝令を受けても解読できるように、視覚と触覚の両方を意識して考案された伝達方法だった。バルビエはこの文字を目に障害のある人に使ってもらおうと、研究と改良を重ね盲学校にもちこんだ。そして、このバルビエが考案した点字を盲人の立場から更に改良したのが、その盲学校の生徒で視覚障害を持っていたルイブライユという人物である。ルイブライユはバルビエの12点文字を現在使われている6点文字に改良した。1824年ブライユが15歳の時である。それまでは、視覚障害者が音楽を勉強し理解することは難しいといわれていたが、ブライユの点字のアルファベットは音楽記号もよく表わし、視覚障害を持つ音楽家や音楽を学ぶ人たちに福音をもたらしといわれている。この点字が発明される前は、紐の結び目で文字を表わしたり、アルファベットの形を木片に浮き彫りにした凸字などを使っていたが、これらの文字は読むのが難しく、視覚障害者自身が書くことができず、ほとんどの視覚障害者は文字のない生活を強いられていた。
6点字の考案者ルイブライユとは
ルイブライユは1809年パリの西南のクーブレイという村で生まれ、3歳のとき馬具職人だった父親の仕事場で遊んでいたときに、突き錐が目に刺さるという事故に合い失明した。両親や周囲の人達の尽力もあって、10歳の時に世界初のパリ国立盲学校に入学する。当時パリ盲学校ではアルファベットの形を浮き出した線文字が使われていたが、読む速度も遅く、文の内容を理解するのは困難だった。ここで彼はバルビエの12点字に出会い、盲人用に12点字の欠点を改良そして研究を重ねその結果、6点字の発明に成功したのである。1824年ルイブライユが15歳のときである。この6点字はすぐに認められず、17歳で同校の教諭になったブライユは6点字が公認されるのを望みながら更に点字の研究と改良を続けた。ルイブライユは肺結核によって1852年に亡くなるのだが、6点字がフランス政府に正式に認められたはその2年後の1854年のことである。その後、ブライユの考案した6点字は世界各国の言語を表わすように翻案され、楽譜や記号など様々な専門分野にも対応できるよう工夫がかさねられた。
日本における点字の歴史
日本に点字が入ってきたのは1880年(明治13年)頃といわれている。1887年(明治20年)、官立東京盲亜学校でアルファベットをそのまま用いたローマ字方式の点字が導入され、その点字を同校長の小西信八から研究依頼を受けた石川倉次という同校教諭が日本語のかな文字に合うように改良したのが現代の日本の点字の基礎になっている。
